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3、1年以後 徒然なるままに  @

2004年8月26日
突然左側の腰に痛みが出た。ついに来たかと「転移、再発」の文字がよぎった。
立ち上がるとき、階段を上るのがつらい。弱気になっているためかいっそうひどくなる。なにしろグレード3ですからねえ。予約なしで病院に行った。
「センセ、まずいことになりました。」じっとしているときは痛くないと伝えた。転移ならずっと痛いそうだ。普通のレントゲンでは問題なさそうということだったが、念のためまた骨シンチをすることになった。
結果「大丈夫です。」
そのころには実はもう痛みはとれていたのだ。でもありがとう、ありがとう。

2004年 9月29日
病院は3ヶ月に1度となった。毎週ずっと会っていたDr.に会えなくなったのはやっぱり寂しい。
久しぶりに病院に行ったら予約表がガラリとかわっていたり、建物が改装されていたり・・・水曜日に行っても顔なじみの人を見かけなくなった。それぞれに治療が進んだのだろう。

9月のNHKの『今日の健康』で「がんに負けない」が特集された。乳ガンもとりあげられたが、ここで話されたことはすでに私は知識として持っていることであった。
そんななかで癌患者としての エッセイスト岸本葉子さんの話はとてもよかった。
「私にとってのがんの最大の特徴は、不確実性でした。自分のがんが再発するかどうかは誰にもわからない。そして助かるためになにをすればいいかも分からない。人間でありながら、自分の未来に主体的かかわれないという苦しみが死の恐怖よりもつらく感じられました。」
 私のなかでもやもやと感じていたことを言葉にしていただいて、そう、そうなのよねと心から思った。
「自分の未来でありながら主体的にかかわれない」そこのところが患者として私も一番つらい。
彼女は取り組んだ食事療法で、体への効果はわからないけれど「がんに対して主体的に動いている」という実感が得られたと言う。
これまでやってきたことを続けつつ、そしてちょっぴりだけど新しい挑戦をして自分の世界を広げていくこと、それは私の場合は花づくりとそれに関わる活動であり、後者は苦手だったパソコンでこうしてホームページまで作ったこと、あるいは旅に出かけることもそうであったかもしれない。未来は読めなくても、今、日常のひとつひとつをがんばって取り組むことが「がんに対して主体的に動く」ということになるような気がしている。
岸本さんありがとう。


2004年11月9日

本やネットで調べていると気になることがある。
再発、転移の際の治療について「早くみつけても、症状が出てから開始しても予後には差がない」という記述をよく見かけるのだ。専門医の言葉である。これはどういうことだろう?。では6ヶ月、1年とかの定期検査の意味はないのだろうか?患者としては「いずれにしても・・・なのか」と暗い気持ちになってしまう。
でも再発の早い段階でみつかって、小さいうちなら抗ガン剤で抑えられるかもしれない、そうであってほしい。そう思いたい。
最近このことへの同じような疑問の声を乳ガンの掲示板でもみかけたし、乳腺の専門医のQ&Aでもとりあげられていたので、この問題に関しては,こちらをご覧ください。
「乳癌インフォメーションfrom doctors」の「相談室」NO.3010

追記2005年1月30日

上記とはちがう見解をお持ちのお医者様のサイトがありました。
乳腺の和(Q&A掲示板2005/1/25付)
「病院によっては、乳癌は再発・転移を起こすと治らないと考えて、術後定期検査は無用であると主張しております。我々はたとえ再発・転移しても早期に治療を行えば治る可能性もあるのだと考えて、しっかりと定期検査を行います。CTやMRを行わない限り早期の再発・転移を見つけ出すことは出来ません。」

患者の立場から言えば「もうなおらない」と言われるよりもどんなに元気が出ることでしょう。
最新医学の英知を集めても難しい病気、ガンのガンたる所以でもありますが、そんな病気になってしまった者でも希望だけは持ち続けたい。でなくてはつらい治療に立ち向かえませんものね。

患者の気持ちに寄り添ってくださるDr.をもつ私は幸せです。元気が出ます。

2004年12月13日
乳ガン2年目が無事に過ぎようとしている。
「無事に」、「元気で」、このことばは今の私にとって、とても大きい意味をもっている。
 今年はお正月明けから胆石の手術でスタートだった。これはmyDr.S先生のおかげで首尾よく進みわずか3日で退院。その後も順調だし何も心配はなかった。もうすっかり忘れてさえいる。そして春のオープンガーデン、7月には念願のイギリス庭巡りの旅を実現した。その写真の編集をしたくてパソコン教室へ通い、ついにはこのホームページまでつくってしまったのだ。これは予想以上の展開であった。勢いに乗ってというのが当たっていると思う。おかげで今年の後半は忙しく緊張もあったが、一方、楽しく夢中ですごしてきた。

 でもそんな日々のなかでも乳ガンを意識しない日はなかった。再発への不安と恐れはいつもどこかでつきまとう。事実、街に出かけても新しい服1枚を買う気にもなれなかった時期もあったし、1年前のクリスマスにはガンの悪性度「グレード3」を自分から聞いておきながら、絶望的になってもいた。壁にぶちあたりながらそれでもはい上がって今日があるのは自分でも不思議な気がしている。第1に全幅の信頼をおける主治医S先生がいてくださること、気ままな手抜き主婦を黙って手伝ってくれる夫、社会人としてしっかり働いている3人の子供達、変わらず親しく接してくれる友人、知人、そして庭のたくさんのお花達…みんなみんなありがとう。

とりわけ上にかいた(9月29日)岸本葉子さんの「ガンに対して主体的に動く」という話は私にとって大きな転機となったように思う。ガンになった私に何ができるか、どうやって生きていくべきかを問う時、先のことはわからないけれど、今、ガンに対して唯一私に出来ることは楽しく、笑って(これはとても大切なことだ!)ちょっとだけ頑張って「今」を大事に一生懸命生きることなのだ。「自分の未来に主体的に関われない」にしても「ガンに対して主体的に動く」ことはできるような気がしている。

もう一つ今年の特筆すべきことはTopics "アジア交流"に書いたNepali Bhasa(ネパール語)との出会いである。新しいことを始めることは難しいけれど、こんなに一生懸命になれたことは久しくなかった。岩村博士がネパールで注がれた医学と人々との暖かい交流。美しいヒマラヤの自然。私の中には40年来あたためてきた思いがある。

 友人たちは忙しく動き回る私に「フツーの人より元気だ」という。また「頑張りすぎないで」と気遣ってくれる人もいる。濃い人生(=短い)を駆け抜けるのではと心配してくれる向きもなきにしもあらず…挑戦したり、新しい経験をすることは大変だけれども、だからこそ得られる充実感、達成感もあると思う。結果として「濃い人生」が少しでも長ければそれはもうけものであり、そこに楽しさが加わるとしたらなおさらである。

そんなこんなの思いをめぐらしながら、希望をもって新年を迎えたいと思う。


2005年1月20日

 先日、1冊の歌集が届きました。『光降る街』。
著者とは今年の年賀状のやりとりでお互いの病気を知りました。彼女も癌、大腸癌の手術を受けたといいます。
 彼女は学生時代、私の2学年先輩で、当時女子学生がふえてきて、はじめて女子寮ができ、その初代の寮長でした。そのころから文芸部で活躍されていてリーダーシップもあるまぶしいほどのかたでした。卒業後は「書く」ことを仕事に選び、新聞社に入られたと聞いていました。
そんな彼女が昨年突然癌を宣告されて「思いのほか、心理的に深い落ち込みになりました」と書いています。何をしたいのか、「優先順位をつけるといいよ」という娘さんのアドバイスを受け、第1順位に歌集を編むことにしてこの本ができあがったそうです。
 一気に読みましたが語彙や知識の乏しい私には読めない字や難しい言葉、表現がたくさんありました。でもどこかで心に響いてくるそんな歌がつまっていました。とりわけ私と同じ病になってから詠んだ歌は、共感を越えて「すごい!」につきます。

 「叶わざる夢のひとつを封印す 追わず 語らず 静かに 胸に」 顕子

一番心に残った歌です。
夢とはなんだったのだろう。大切な夢さえも「封印」してしまわなくてはならない病気、癌…。でも「追わず 語らず 静かに 胸に」に、彼女らしい、凛とした姿を見ました。

 あとがきで、この歌集を「私にとっては、娘たちへの送り状、あるいは墓標。」と書いてあるのには少なからず衝撃を受けました。そして二人の娘さんに早期発見のための検診と健康管理について「・・母の轍を踏むことなく…」と呼びかけてあります。
 この本を読みながら、私は同じ癌患者なのに子どもたちに残す言葉も何も持っていないことに気づいたのです。毎日が自分のことでいっぱいいっぱいで、他を思いやることもできてはおりません。
これからの人生のなかで、私は3人の娘や息子たちに何を伝えていくべきか、残された課題は大きいです。 

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